ヴァスコ・デブリート

1952年ブラジル・サンパウロ生まれ。
13才の時にクラシック・ギターを学び始め、その後ボサノバやMPBを始め、18才の時にオリジナル曲の作曲を始める。プロとしての活動を始める前に、ロベルト・メネスカール、マゾラ、マエストロ・エルロン・チャーベスなどの音楽シーンのオピニオン・リーダー達に出会い才能を認められ、作曲家としてデビューする決意を固める。

1979年 アントニオ.アドルフォに出会いオリジナル曲のレコーディングを奨められる。ファースト・シングル「Umdia」をリリース。

1981年 ファースト・アルバム「Um dia a coisa muda」をリリース。参加ミュージシャンは、テオ・リマ、マウリシオ・マエストロ、マーグロ(MPB4)、トマス・インプロタ、ジャイメ・アーレン、アルベルト・ローゼンブリッツ、フェルナンド・カルヴァリョ他「Antologyof the Lyricists(優秀作曲家)」に選ばれる。

1984年 ボサ・ノバのスペシャリストとして神戸に招かれ初来日。
1985年 シングル「Tecelagem」をサン・パウロでリリース。

1986年 アルバム「Todos a bordo」をリリース。パウル・カラザンス、ジョン・フラヴィン、フランクリン、マルコ・ボスコ他が参加。

1987年〜90年 東京に滞在。サテン・ドール、アレナ・ホール、ドッジ・ハウス、ジャズin鈴鹿他に出演。
1991年 ヨーロッパに滞在。ベゼ・サレ、ヴォーグ、シェ・シカー等に出演する他、スペイン、ベルギー、イタリアへツアーを行う。

1991-1993年 ヨーロッパと東京を行き来しながら、ザ・ブームの宮沢と共に、サンディーのアルバム「Watasi」に参加。
1996年 アルバム「Monica氈vの作詞を手掛ける。

1997年 ナムコ・アルマジロ・レーシングのCD-ROMの作詞、アレンジを担当。レコーディングにも参加する他、鳥山 雄司、相田 翔子、Osny Mello、Monica等の作詞、作曲も手掛ける。

1998年 ブラジル移民90周年記念として、浅草サンバ・カーニバルのテーマ曲「Saga」を作詞。シングルCDとしてリリースされる。前夜祭のコンサートでは、カヴァキーニョの神様として知られるAlceu Maiaと共に出演する。

1999年 オリジナル・アルバム「Visions」を日本でリリース。楽曲「Aguas」がJAL国際線機内のワールド・ポップス・チャンネルに採用され、ブラジルのTVプログラムに多数出演。阿佐ヶ谷ジャズ・フェスティバルや、ジャズ・イン大磯に出演。

2001年 ニュー・アルバム「Praia dos corais」をレコーディング。ローン・カーター、ホメーロ・ルバンボ、パウロ・ブラガ、ロベルチィーニョ・シルヴァ、マウリシオ・マエストロ、フェルナンド・メルリーノ、パンチィコ・ロシャ、マルセロ・マリアーノ、フェルナンド・カルヴァリョ他が参加。

2002-2004年 ブラジルで多数のコンサートを行い、ブラジル音楽に多大な影響をもたらす"Dicionario Cravo Albin da Musica Popular Brazileira(MPB音楽家の人名事典)"に掲載されることが決定し、Web上でも公開されている。